1993年4月16日金曜日

<1993/4/16>



  • ポンペイ、ナポリのオプショナルツアー 
昨日までのローマ市内観光には正直言って食傷気味。ローマという街は遺跡ととも暮らしているような街で、街のどこをみても「これでもかぁっ!」とば かりに遺跡が目にはいる。それも、ローマンデザインでお馴染みのゴテゴテかざりのシロモノなので、水墨画や青磁などのアッサリサッパリが好きな私には、ど うも相性が悪い。なおかつ街自体が埃をかぶりっぱなしで汚い。遺跡にも落書きが多いし、どの車のボンネットにもイタズラ書きができるくらいに埃が積もって いる。引っ越しで荷物を動かしたあとの私の部屋のようである。いわゆる「埃のチャンピオン」の街だ。
明日からはギリシャに入るので、今日がイタリア旅行前半の最終日、オプショナルツアーでナポリとポンペイに行く。「ナポリを見て死ね」などといわれ るくらい美しい町なんだそ~だが、たかが町を見た程度で死んでしまっては、たまったものではない。こちとらは新婚さんなのである。
今回のバスツアーはツアー会社集合なのではなく、お客の泊まっているホテルまで出迎えくれる「ピックアップサービス」付きである。まあ、いくつかの ホテルを回ることでもあり、イタリアのことなので、時間通りに来るとは思っていなかったが予想通りの遅刻、遅刻。6:45にピックアップの予定が、バスが ホテルに来たのは7:30。二人でロビーにたたずむこと45分の後であった。
やたらと元気の良いおね~さん二人がホテルのロビーに駆け込んで来た。遅れているのに全く悪びれることなく「Are you Mr.SHINKI?」などと聞いて来るところは、ひたすら愛想が良いというか、国民性というか・・・・・・・・である。
さて、やっと出発したバスは一路ナポリへ、ローマから南へ約200キロの距離である。郊外の高速道路をビュンビュンと飛ばすバスの中で、ガイドのリ タ嬢がいろいろと説明してくれる。彼女も四か国語を使い分けての案内なので、うっかりしていると英語の部を聞きのがしてしまう。まあ、聞き取れたとしても 半分以上は意味不明なのだが、多少なりとも耳に馴染みのある言葉を聞けたほうが、安心感があるというものである。
ローマ市内はなんだか殺伐としていて暗いムードだったが、郊外は背の高い木々や牧草も多く、緑豊かだ。放し飼いになっている牛や馬もそこここに見ら れて、のどかな景色である。この一帯は、火山成の土地で牧畜には適している。飲み物は、フェスカテ・ワインという白ワインが名物なんだそうで、これを持っ てピクニックに行くのが休日のすごし方らしい。車窓から見えるブドウはまだまだ小さかったが、10月~11月には旨いワインが出来上がるそうである。
南に向かうに従って空模様がだんだんと暗くなってくる。ぼちぼちナポリに着こうという頃には、降ったりやんだりの天気。ホ゜ツポツと雨粒が付く車窓 からナポリの町並みを見物する。途中、高台からナポリの港と町を見下ろすポイントがあったが、これが「見て、死ね」っていうほどのもんかねぇ、というのが 率直な感想、といっておこう。
ナポリ市内を一通り回って港でトイレ休憩、一人500リラの使用料だ。単に用足しだけかと思っていたら、しっかり歯磨き、洗顔までこなしてしまうおね~さんが居たのには驚いた。あの環境で歯磨きをやってのける女性は日本にはいないだろうな。
港の売店でジュースとお菓子を買う。お菓子のほうは砂糖たっぷりの甘いもので少々辟易したが、ジュースはフレッシュ。ナポリの港に限らず、ローマ市内で飲んだジュースも缶や瓶入りのをグラスに注いだだけのものではなく、ちゃんと果物を絞って作っている。こういう飲み物が当たり前に出て来るところは、「食」という基本的なところで豊かな国なんだなと思わせてくれる。
ナポリの港でガイドが交代。今度はコートをキチッと着込んだおじさんである。このツアーの後半、ポンペイの遺跡への道をたどる。雨はいっこうに降り やむ気配がない。
ポンペイはべスビオ火山に埋もれた遺跡。溶岩が固まった土地を切り開いて道路が走っているので、真っ黒に冷えて固まった溶岩が左右に見える。ポンペ イに着いたら昼食というスケジュールになっているので、ガイドがやたらとマカロニの話をする。街の説明をするのに「キャピタル・オブ・マカロニ」と何度も 自慢するのが、お国自慢で微笑ましいというか、しつこいというかだ。
雨の中、ポンペイに到着。カメオが名物ということで、展示・製造・販売がセットになった見学場に入る。フランス語ガイドと英語ガイドの二手に分かれ て見学。日本人とみると「もしもし、カメオ」という駄洒落をとばすのが、ここの商売の習いとなっているらしい。あまりに馬鹿馬鹿しいのだが、思わずのって 「Your pronounciation very good japaneseね」などと相づちをうってしまう私であった(^^;。
カメオというと、ブローチなどで女性の横顔を彫っている物がよく売られているが、やはり腕の上手下手はあるもので、「先生の彫ったものと、初心者の 彫ったもの」とを見せてもらうと、ハッキリ違いがわかる。顔がなんとなく偏平だったり、表情がかたかったりする。その分、うまく彫ってあるなあと思う物 は、それなりにお高い値段で、おいそれと買って帰れるものじゃなかった。
見学を終えて昼食だ。「キャピタル・オブ・マカロニ」の味をみせてもらうとしよう。
ツアー客用には、食堂に席が準備されていてテーブルは六人掛け。日本人同士はだいたい固まって座っているのだが、 HIROKOと私は二組のイギリス人カップルと同じ席になった。結婚三十年記念で旅行に来たという一方の夫婦は、旦那のほうはみるからに研究者風で寡黙な人だが、奥さんの方はなかなかの気遣い。六人がけのテーブルで、四人の英語圏人に我々が囲まれて、いづらい気分でいると思ったのか、何かと話しかけてくれる。
前菜はマカロニ、メインディッシュは魚か肉を選択できる。港の町ナポリだからと思って魚を注文したのだが、これが大失敗。白身の魚をブツ切りにしてソテーしただけの料理で、味気ないことこの上ない。隣の席のイギリスのご婦人もさすがにこれはイマイチと思ったのだろう、「日本でもこんな料理があるのですか」と質問してきた。すかさずHIROKOが「NO,This is no good」と相づちを打つ。
食事の途中に、ギターを抱えたミニミニ楽団がテーブルのそばにやって来て、地元の唄を唄ってくれる。というか、帽子にチップを入れるまでは無理矢理に唄いつづけてくれる。最後の木イチゴのアイスクリームはおいしかったが、総体に料理の出来はイマイチ、イマニといったとこ。ま、そ~いえば日本の観光地ツアーバスでも、さしてうまくもない食堂と観光ツアーと土産物屋がセットになっている物だわ、となんとなく納得する。
雨はすっかり上がって、いい天気になっている。食後は、ポンペイの遺跡見学、ガイドのおじさんが折り畳み傘を目印に先導する。所々で立ち止まってフランス語と英語での解説をしてくれる。とにかく広い遺跡で、歩いてまわっていると何時間かかるか分かったものではない。市場、パン屋の窯、アポロンの神殿の跡、東西南北に走る道はまっすぐに伸びており、水道のパイプもしっかりとその跡を残している。
灰に埋もれていた遺跡だけに、フレスコの絵が色あざやかに残っており、モザイクのタイル飾りもきれいに形を残している。中でも見ものだったのは浴場で、冷水、温水、ぬるま湯と三種類の湯が準備されており、男性、女性のそれぞれの区別もきちんとされている。浴場は体育場の隣に設置されていて、さながら現在のスポーツクラブのよう。反面、べスビオの噴火の時にガスにまかれて倒れた人間が、そのままの姿で灰に埋もれているのがリアルに残っていたりもする。
かれこれ一時間くらいの見学の後、土産物を見物しつつ休憩。出口でポンペイのガイドブックを買う、日本語のガイドブックは2000円也。あとは一路ローマへ戻るだけである。帰りの道ではすっかり晴れ上がり、夕日がまぶしいくらい。遺跡を歩き疲れて、ホテルまではぐっすり眠り込む。
いったんホテルに荷物を置いてローマ三越でお買い物。やはり、お土産を買うには便利である。スカーフ、ネクタイなどお決まりのもの。旅行にきて土産にあまり気を使うのもばかばかしいので、こんなとこで良しとする。夕食はホテルのレストランで済ませて午後10時就寝。明日はギリシヤ・アテネだ。

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