1993年4月20日火曜日

<1993/4/20>



ミコノス島最終日。白い壁、赤や青でカラフルに彩られた家々、紺碧の海とも今日でおわかれである。アテネへ戻る飛行機は22:20発、空港までのお 出迎えの車が21:00に来る。荷作りをしたスーツケースはフロントに預けて、島の散策に出る。港の喫茶店でジュースとサンドイッチの軽い昼食。チキンサ ンドとベーコンサンド、いずれもゴマのたくさんついたホットドッグ風の仕上げ。オレンジジュースはここでもフレッシュだ。
今日は海岸線を歩く。港のすぐそばでは、とれとれのタコをぶつ切りにして鉄板の上で焼いていたり、大きなかごにいっぱいのウニをかかえた漁師が通り 過ぎていく。
相変わらず陽射しは強いが、風はそれほどでもない。海岸線の道もアスファルト舗装などはされていなくて、たまぁ~に通る車が砂ぼこりをたてて走り去 る。港から遠ざかる程にしだいに上り坂になっているので、15分くらい歩くとけっこう切り立った崖から海を覗きこむ感じになる。
道上から見下ろすエーゲの海はあくまで透き通って、崖には色とりどりの花が肩を寄せあって咲き乱れている。アテネに着いた時にガイドの出原さんが 「花のきれいな季節ですよ」と言っていたが正にそのとおり。一つ一つはそんなに大振りな花でもないのだが、集まって咲く姿が美しい。 HIROKO が海を覗きこむようにしてカメラを構えて撮っている。
かれこれ一時間ちかくも歩いたろうか、海岸の近くに小さなホテルがいくつか集まったところについた。このあたりは海岸線も砂浜になっていて遠浅なの だろう、家族連れが海水浴を楽しんでいる。大阪の感覚だと、いくらなんでも4月に泳ぐなんてというところだが、日中の陽射しの強い時間帯だったら冷たい海 の水も心地好いのかもしれない。
波打ち際近くのちょっとした岩場に荷物を置いて休憩、海からの風が心地好い。ただちょっとばかり波打ち際に近すぎたようで、買ったばかりショルダー にしぶきがかかって、しっかりと水玉模様になってしまったのがくやまれる。買った時に、ちゃんと防水スプレーをしておけばよかったと後悔しきりである。ま あ、でもあの時には鞄を買った店にも防水スプレーは売っていなかったことだし、いたしかたあるまい。「GENUINE LEATHER 」の証明ということにしておくか。
港まで戻って、ミコノスタウン内を散策、エーゲ海最後の日の夕食の店を物色する。「ラ・スカラ」という店に決定。18:00頃でまだ時間が早かった のか客はほとんどおらず、好きな席を選べる。階段を上がったばかりのベランダのテーブルに決めた。この店も隣の店も、店内だけでなく外にもテーブルを並べ ているので、天気の良い日だったら外で景色を眺めながら食べるに限る。
港の近くのレストランには、なぜかペリカンが住み着いている。名前もついていて「ペドロ」という。どのレストランが飼っているというわけでもないの だが、人間を怖れずに近寄ってくる。また観光客が自分の食べている料理を与えたりするものだから、ペドロの方も居心地が良く、すっかり居座っているという しだい。いまでは島の観光名物になっていて「ペドロ物語」という本まで売られている。ちなみに今のペドロ君は三代目なんだそうだ。
さて、そのペドロ君がうろうろする姿を見下ろしながら夕食とする。ラ・スカラのマダムはえらく愛想の良いおばさんで、ピッチリとしたレオタード風の 服で仕事をしている。料理はシーフードミックス、タラモサラダ、白ワインを注文した。最初はワインで乾杯、
といきたいところだったが、マダムはワインオープナーを持って来たまま奥へ引っ込んでしまった。ギリシャにかぎらずワインのコルクは店の人が開けて くれるもんだよなぁと話しつつ、使いなれた道具だからと自ら開け始めた途端、
「ノン、ノン、ノン、ノノ、ノォォオ」と言いつつ、マダムが慌ててやってきて「イッツマイワーク」とばかりに私の手からワインボトルとオープナーを うばいとって、コルクを開けてくれた。単に忘れていただけらしい。
このマダム、なにかにつけてオーバーアクションな人で、 HIROKO が食後に「MayI have a cup of coffee ?」と注文すると、背の高い身体をおるようにしてかがみこみ、 HIROKO の顔を覗きこむようにニッコリ笑った後で「おぉふこおぉ~~す」と応えてくれる。
そんなアクションがべらぼ~にオーバーなので、二人して「あの人はきっとタカラヅカかなんかの出身で、だから身振りもおおげさだしレオタード着てる んやわ」と納得しあった。
陽気なマダムのおかげで夕食を楽しんだ後、一旦ホテル・イリオマリスに戻る。
迎えは21:00、ほぼ時間通りにマイクロバスが到着。帰りは船ではなく飛行機なので、島の中央のミコノス空港へと向かう。空港といってもさして大 きなものではなく、ロビーもローマでのった市内観光バスの乗り場くらいのものだ。オリンピック航空の専用らしい。
飛行機自体も60人くらい乗ったらいっぱいの大きさ、乗り合いバスの感覚だ。操縦席への扉もあけっぱなしで、前の席に座ってた女性は水平飛行に入っ た直後に操縦席へ入って行って、そのまま着陸直前まで帰ってこなかった。あれじゃあ、ハイジャックなんてやりたい放題である。来る時は何時間も船にゆられ たアテネ~ミコノス間も、飛行機だとほんの一時間弱、23:00すぎにアテネ空港着。ロビーで迎えのタクシーを待つ。
が、いつまで経ってもその迎えがやってこない。飛行機が予定より早くついたこともあるのだが、時間だけがどんどん経っていって不安がつのるばかり。 ついにしびれを切らして、ツアー会社の事務所に電話をいれるが誰もでない。もっとも夜の11時をまわっているのだから、しかたないのか。
あきらめて、タクシーを拾ってホテルに行こうかとしたころに、ようやく迎えのタクシーが到着。どうももうひとつの空港に行っていたようだ。アテネの 空港はエリニコン空港というのだが、東西二つの空港がある。東は一般の国際線空港なのだが、西はオリンピック航空専用。どうも東の空港に行っていたらし い。おかげで、ホテルにチェックインできたのは午前0時になっていた。
ホテルは前回と同じくグランド・ブルターニュだが、今度は一階の部屋。シャワーを浴びようとした HIROKO が出て来たので、どうしたのかと思ったらシャワーの温度がぜんぜん上がらないとのこと。なるほど、ぬるいお湯しか出ていない。髪が濡れたまんまで HIROKO がフロントにクレームの電話をいれている。さすがに英語力はたいしたもので、部屋を変えるように注文をしているのが、なんとなく聞き取れる。
電話をきった後で、早々に荷物をスーツケースにおしこむ。こっちはすっかり部屋を移るつもりである。
数分してボーイがやって来ていろいろと調整していたが、結局部屋を変えることになった。今度はお湯もちゃんと出るが、4/17に泊まった部屋とは 違ってドライヤーがない。ま、それは我慢するとしてもバスマットもないのはいただけない。この件にもクレームを付けたが、深夜のことなので準備できないと 押し切られてしまった。少々うっぷんをためたまま、それでも夜も遅いので早々に就寝。
とにかくこの日の夜は、悪いイベントがてんこ盛りであった。

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